富田林初、幼保連携型認定こども園

廿山(藤沢台)の幼保連携型認定こども園「葵音(りおん)つばさこども園」の整地工事が始まりました。

「保育所等運営事業者選考委員会」は、市と事業者の対応を強く非難しています。

「選考結果報告書」提出後の事業計画の大幅な変更についての所感(富田林市保育所等運営事業者選考等委員会)

  1. 「選考結果報告書」提出後であっても、市民の利益となる合理的な理由に基づく事業計画の変更は、市の監理の下、一定の範囲では認められてしかるべきである。しかしながら、当委員会の選考・審査の根拠となる事業計画の大幅な変更は、複数の応募がある場合の公平性、一者の応募である場合の適切性の判断を毀損しかねず、当委員会としては遺憾の意を表するものである。
  2. 市民への説明責任を果たすため、今回の一連の経緯を市の担当部局と当該の事業者が書面をもって公表し、市民の理解を得るよう努められたい。

富田林市「保育所等運営事業者選考等委員会」が開催され事業者(社会福祉法人)が決定しましたが、事業者決定後の事業者による計画変更だったようです。

事業計画変更を認めた経緯と理由 

  • 当初計画で施設駐車場の進入道路として使用予定の下水道敷(水路管理道路)が使用で きないことを確認しましたので事業者へ設計変更を市から依頼しました。 設計変更に伴い事業者側から、今年10月から開始される幼児教育の無償化による1号認定児の需要増加等に対応するため定員変更の申し出が、平成31年1月25日付けで提出されました。 

認可定員を111人から180人へ変更

  1. 指摘した駐車場部分の設計を変更するのはよいが、認可定員の増に伴う建物の設計変更は腑に落ちない。市が、市のメリットと市民のメリットを考えることは仕方ないが、ここは踏み止まってほしかった。市からの委嘱を受けた我々が蔑ろにされたようで残念である。
  2. 応募者数の問題ではない。1者だったとしても変更を認めるべきではなかった。筋は通すべきであった
  3. 2号認定から1号認定に切り替えができるが、その逆の方が可能性は高いと思うので、一概にメリットだけではない。
  4. 今後、このこども園に関しては、市が中身や安全面を確認していくのか。
  5. 応募が1者だったから変更を認める、という市の見解に納得できない。我々が検討した結果を尊重するべきである。市が公平性を掲げているにも関わらず残念である。
  6. 変更を一度でも認めてしまうと今後も同じようなことをやり兼ねない。
  7. 印象が悪くなった。
  8. 保育所部分の施設整備補助金が伴うので、市も関わる必要がある。

素案にあります市立幼稚園の廃園に反対する署名の提出とあわせて、反対の旨のご意見を多くいただいたことから、このたび、素案をゼロベースで見直すことといたしました。

市町村「公立」の認定こども園「大阪府認定こども園一覧表」


  1. 子ども医療費助成制度(富田林市)
  • 助成対象:中学校3年生まで
  1. 子ども医療費助成制度(堺市)
  • 助成対象:18歳まで

8月28日・9月7日「すばるホール」で入園説明会を開催

定員「180名」(1号認定児75名 ・2号・3号認定児105名):1歳児「18人」・2歳児「18人」を受入れ予定

富田林 こども園

かつて河内の国と呼ばれた大阪東部。嶽山という小高い山がある。応仁の乱へと繋がる大戦が行われた場所。畠山義就はこの山に立てこもっていた。相手は室町幕府の大軍だが、2年半も持ちこたえていた。圧倒的だった義就の強さは、彼の歩んだ数奇な人生を象徴するものだった。人生最初の転機は12歳の時。父・持国の座敷に呼び出され、跡取りに任命された。畠山家は室町幕府のNo.2で管領になれる家の1つだった。持国も二度管領になった幕府の重鎮。河内など4カ国を治める守護大名だった。

勝元に深い恨みをもった義就はすぐに河内で決起し、嶽山で立てこもり勝元に反旗を翻した。龍泉寺にある「龍の井戸」には嶽山の地下水が集まり、豊富な水があったことが地の利を生かして戦い続けたという。地方の武士「土豪」に強く期待されていたことも戦い続けられた要因とされる。勝元は更に大軍を派遣し、3年後ついに追い詰められた。土豪の1人が身代わりを申し出るほど、義就と土豪の信頼関係は強いものだった。わずか30人ほどの手制で包囲を突破し、追いすがる幕府軍から義就を救ったのも地方の人々だった。

一方義就は戦いを続け大内の帰国に先立って2000の兵とともに再び河内に向かい、二十日足らずで河内を手中に収めた。簡単に国を取るために義就は足軽への給料にあてるために税金を徴収する史上初の試みを行った。足軽は当時戦で活躍するようになった下級兵士だが給料は少なく略奪が許されていた。そこで義就は給料の財源を確保し、足軽の略奪を防いで人々から支持を得た。こうして河内は幕府から独立した独立国となった。これは後の戦国の世の先駆けとなった。

  • 嶽山城(東條村)
  • 高屋城(城山)
  • 廿山城(廿山村)
  • 毛人谷城(富田林村)
  • 石川向城(甲田村)
  • 中山口寨(板持村)
  • 喜志城(喜志村)
  • 中野寨(中野村)
  • 篝山寨(南大伴村)
  • 龍泉寺城(龍泉)
  • 金胎寺城(東條村)
  • 佐備口城(東條村)
  • 陣山城(佐備村)

南甲田の南方、避病舎(隔離病舎)の西に隣つて、無露塚(川西古墳?)という古墳がある。「埴輪円筒棺の発見」

これは畠山両氏の廿山合戦の戦死者を葬ったものと言ひ傳へ、塚の上に寶篋印塔が一基、今も土地の者は、これに触ると祟りあるて、恐れいる。

「河南の枝折」(大正10年)と 「大阪府全志」(大正11年)に「無露塚(むろづか)の寶篋印塔に触ると、祟りありと里人は恐る」と記述あり

1922(大正11年)の地図では、現:コーナン辺りに「避病舎」の地図記号らしき表示があります。


岩根醸造場 「清酒」明治25年創業(南河内郡役所統計書:明治30年)

富田林 こども園


「当初計画で施設駐車場の進入道路として使用予定の下水道敷(水路管理道路)が使用できないことを確認しましたので事業者へ設計変更を市から依頼しました。」 とある「施設駐車場の進入道路」とはこの道のことでしょうか。進入路と歩道も工事が途中でストップしています。

この道に沿って流れる東除川(ひがしよけがわ)支流のこの小川が、現在では向陽台辺りで暗渠となっていますが「1892(明治25年)」の地図では、富田林街道まで流れています。

富田林こども園

同じ社会福祉法人 博光福祉会幼保連携型認定こども園では、待機児童0人の松原市「宮前つばさ幼稚園」を運営しています。


令和1年10月以降の無償化:富田林市では、3歳~5歳「1110人」が無償化対象

0歳~2歳「604人」が無償化対象外

保育園の利用料負担が軽減されるはずなのに、逆に負担が増えてしまった――。10月から始まった幼児教育・保育の無償化で、一部の保護者がそんな「逆転現象」を訴えています。

「無償になるどころか、我が家は年間12万円の負担増です」

〇令和3年度(2021年)にも開園が予定されています。

富田林 保育園

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富田林 認定こども園

富田林 保育所

藤沢台を下った桜コーヒー周辺は駐車場が激安です。青空ですが綺麗に舗装されていて軽自動車3.500円。普通車5.000円です。

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