富田林時代の「織田作之助」と「ニカツ」

織田作之助

旧杉山家住宅には、織田作之助の遺品(絶筆となった「土曜夫人」草稿3枚・万年筆・すずり・毛筆)が展示されています。本町公園には「織田作之助記念碑」

織田作之助

放送作家の方から6年前閉店した(「ニカツ」元店主の娘さん(85歳)富田林生まれ)に聴き取りした情報を教えていただく機会がありました。

織田作之助

両親が富田林の金剛大橋付近で自転車屋をしており、商売替えし「ニカツ」を開業。

トキは、昭和13年(1938)店主の娘さんが3歳の時。富田林では、ヒトラーユーゲント派遣団(少年団)がオープンカーを連ねて駅前パレード。富田林中学生徒がお出迎え

解体中のニカツ

串カツ

1本2銭だったので、屋号を「ニカツ」と名乗ったそうです。

当時は、串カツを一本1銭、2銭で商ったことから「一カツ、ニカツ」と呼んでいました。

駅前なのでよく流行り、従業員も何人か使っていた。お店は、当時流行した立ち食いではなく座り。

串カツは牛串を中心に数種類、イカ等も揚げていたそうです。揚げ油はヘット(牛脂)。お店では、ごはんを出さなかったので、隣の散髪屋さんは店閉めた後、お櫃を持ち込んで、串カツをおかずにご飯を食べていた姿を記憶している。

更地となったニカツ、正面に見えるのが富田林駅。

串カツ

戦争中、店主の父は店を閉めて軍需工場へ働きに出て、終戦後はうどん屋に転向した。

しばらくしてごはんも出すようになり、大衆食堂のようにしたそうです。

戦後は、カナヤの客や*三岡電機、バスの乗務員(当時金剛バスは女性車掌を含め2名乗車)などで繁盛していました。食堂を閉めたのは6年前で、借家なので閉店後も家賃は払っていたそうですが一昨年の台風で老朽化した家屋が破損し、「ニカツ」の看板も下ろすことにしたようです。

*三岡電機「本社:富田林市(三岡電機製作所)1999年自己破産

その後大家さんが更地にしました。歩道を渡った正面の駅前一等地ですが大家さんは当分の間土地の売却や建物を建てる予定も無いようです。(周辺の聞き込みより)


休業中のカナヤとヒナ

織田作之助
織田作之助

「オダサク」も一度訪れたことがあり、富田林西口駅近く、寿町の姉の竹中タツさんは戦後、何度も訪れ、お店で飼っているネコを可愛がってくれたそうです。

織田作之助