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富田林今昔マップ
富田林今昔MAP

富田林市
富田林航空写真


富田林年表  (2017/07/15作成)富田林ニュース24
  • 1936(昭和11年)楠公遺跡巡歴駅伝競走(現:富田林高校主催)開催
  • 1937(昭和12年)「太子口乗合自動車開業。「喜志」⇔ 「春日」⇔「上の太子」運行
  • 1937(昭和12年)「金剛駅」新設
  • 1938(昭和13年)ヒトラーユーゲント派遣団10名(ヒトラー青少年団)富田林訪問
  • 1939(昭和14年)富田林町警防団 ・ 川西村警防団・喜志村警防団結成
  • 1941(昭和16年)12月太平洋戦争(12月8日真珠湾攻撃) 
  • 1941(昭和16年)「大阪府立富田林高等女学校」新校舎(施工:淺沼組)
  • 1942(昭和17年)富田林町(新堂村・喜志村・大伴村川西村・錦郡村・彼方村)合併「町会議員30名 」(富田林小学校跡、現公民館に仮町舎)
  • 1943(昭和18年)富田林町警防団 (団員872名)
  • 1943(昭和18年)大阪鐵道関西急行鉄道」が合併。
  • 1944(昭和19年)「関西急行鉄道」「南海鉄道」が合併。「近畿日本鉄道」発足
  • 1944(昭和19年)集団学童疎開受入れ。東住吉区の「平野国民学校」568名「田辺国民学校」505名「育和国民学校」406名(汐ノ井旅館・西方寺・浄谷寺・妙慶寺・興正寺・常念寺・泉竜寺・教蓮寺・専光寺・光盛寺・顕証寺・大念寺・善正寺・西徳寺・月光寺・桜井会館・明尊寺・大深会場・川面会場)
  • 1944(昭和19年)大阪第二師範学校女子部開校(元大阪府立富田林高等女学校の旧校舎)現:大阪教育大学
  • 1944(昭和19年)大阪第一師範学校附属国民学校初等科(現:大阪教育大学附属天王寺小学校)107人東条村廿南備「若楠寮」を分教場として集団疎開
  • 1945(昭和20年)B29から投下された焼夷弾が数発、板持青年会館付近に落下、半焼8戸・軽傷3人
  • 1945(昭和20年)8/15終戦。(8月6日広島に原爆(ウラン型)・8月9日長崎(プルトニュウム型))
  • 1947(昭和22年)富田林町立中学校「現:第一中学」開校(富田林高等女学校の旧校舎)
  • 1948(昭和23年)富田林高等学校発足(旧富中)菊水郷(高1期)
  • 1948(昭和23年)河南高等学校発足(旧富女)
  • 1948(昭和23年)河南高等学校(富田林高等学校内、抽選により異動)
  • 1949(昭和24年)富田林町役場 富田林税務跡に移転(富田林町毛人谷213番地)
  • 1950(昭和25年)富田林市誕生
  • 1950(昭和25年)第二中学校開校
  • 1951(昭和26年)「職員106名」「市会議員30名」「有権者3万人」
  • 1951(昭和26年)学芸学部富田林分教場(女子部教場)廃校(大阪第二師範学校女子部)
  • 1951(昭和26年)第一中学を現在地に移転
  • 1951(昭和26年)河南高等学校現在地に戻る
  • 1951(昭和26年)市の財政、昭和33年まで連続赤字
  • 1951(昭和26年)「自転車競走・地方競馬」を行うことのできる指定
  • 1952(昭和27年)大阪警察病院富田林分院開院(現:南河内府民センター)
  • 1953(昭和28年)「富田林市役所」新築移転。木造庁舎 (富田林市毛人谷45-47)
  • 1953(昭和28年)「PL教団本部」富田林に移転
  • 1955(昭和30年)「PL学園高校」開校
  • 1957(昭和32年)「PLランド開業」ー1989年(平成元年)閉園
  • 1957(昭和32年)1月 、東条村が富田林市に合併編入
  • 1957(昭和32年)「古市駅」⇔「喜志駅」複線化
  • 1958(昭和33年)大阪瓦斯(都市ガス)供給開始。
  • 1958(昭和33年)「富田林高校」秋季近畿地区高等学校野球大会優勝
  • 1959(昭和34年)「富田林高校」甲子園初出場(春の選抜)
  • 1960(昭和35年)「新堂診療所」診療開始
  • 1961(昭和36年)「富田林警察署」新築移転。(富田林市毛人谷50-1)
  • 1962(昭和37年)「第一中学校」夜間中学開校
  • 1962(昭和37年)「PL学園」甲子園初出場(春の選抜)
  • 1966(昭和41年)「大谷女子大学」文学部:錦織に開学
  • 1966(昭和41年)市営喜志プール運営開始(2012年廃止)
  • 1967(昭和42年)50年前(2017)
  • 1967(昭和42年)「金剛団地」入居開始:940人
  • 1968(昭和43年)市役所「金剛連絡所」開設(2010年建替え)
  • 1968(昭和43年)金剛中学校開校
  • 1969(昭和44年)汐の宮病院開院(現:結のぞみ病)
  • 1969(昭和44年)学生運動の活発化:大阪芸術大学占拠
  • 1969(昭和44年)大阪府高校生連合と高校生反戦連絡協議会の30名が服装自由化と反戦を求め河南高校図書室を占拠
  • 1970(昭和45年)大阪警察病院富田林分院閉院
  • 1970(昭和45年)市庁舎建て替え
  • 1970(昭和45年)PL「大平和祈念塔」落成
  • 1970(昭和45年)宝生会「PL病院」市民の受入れ開始(2006年新築移転)
  • 1971(昭和46年)市営大伴プール運営開始(2012年廃止)
  • 1972(昭和47年)西友富田林店(富田林デパート)(じゃんぼスクエア富田林)開店、1998(平成10年)閉店
  • 1975(昭和50年)「富田林市民会館(レインボーホール)」(海原建設・大末建設JV施工)運営開始 
  • 1976(昭和51年)ダイエー富田林店開店(平成27年閉店)越井林業(株)
  • 1976(昭和51年)富田林市立図書館・公民館開館
  • 1977(昭和52年)富田林病院開院(開設者:富田林市長)
  • 1979(昭和54年)市営川西プール運営開始(2012年廃止/2015年復活)
  • 1980(昭和55年)「金剛東団地」入居開始
  • 1980(昭和55年)「府立金剛高校」開校
  • 1981(昭和56年)170号(外環状線)「富田林 」⇔「河内長野」開通
  • 1982(昭和57年)川西駅付近の線路を高架化
  • 1983(昭和58年)金剛図書館・公民館開館
  • 1983(昭和58年)大谷女子大学短期大学部:錦織に移転(2013年廃止)
  • 1984(昭和59年)「初芝富田林高校」開校
  • 1986(昭和61年)市立藤陽中学校開校(大阪まちなみ賞受賞)海原建設・中筋建設
  • 1986(昭和61年)青葉丘病院開院:富田林市青葉丘(平成17年大阪狭山市へ移転)
  • 1987(昭和62年)「府立錦織公園」開園
  • 1987(昭和62年)喜志駅~富田林駅複線化
  • 1989(平成元年)「エコール・ロゼ(ジャスコ金剛東店)」開業、(株)関西都市居住サービス
  • 1989(平成元年)「富田林警察署」建て替え
  • 1990(平成2年)「富田林保育園」建替え
  • 1991(平成3年)「すばるホール」開館(90億円、施工:大末建設)
  • 1993(平成5年)「サバーファーム」運営開始
  • 1994(平成6年)「市営斎場・霊園」運営開始
  • 1994(平成6年)「総合スポーツ公園」運営開始
  • 1997(平成9年)「富田林寺内町」国の「重要伝統的建造物群保存地区」選定
  • 1998(平成10年)ガーデンシティ・コープ金剛東(大阪まちなみ賞受賞)
  • 1999(平成11年)富田林高等学校新校舎完成
  • 2000(平成12年)309号「板持南」⇔「河南町」開通
  • 2001(平成13年)川西尋常小学校、国登録有形文化財:1935(昭和10年)築

国立国会図書館デジタルコレクション
国立国会図書館デジタルコレクション検索
国立公文書デジタルアーカイブ
国立公文書デジタルアーカイブ検索

錦部郡板持村と石川郡東板持村

伴林光平 林村 51
水郡善之祐  甲田村  38
水郡英太郎 甲田村

13

谷塚与三郎 甲田村 26
辻宇吉 甲田村 46
和田佐市 甲田村 31
森本久蔵 甲田村

30

森元伝兵衛 宮甲田

29

鳴川清三郎 新家村

36

浦田弁蔵 廿山村 32
仲村徳治郎 富田林村 24
三浦主馬 富田林村 48
辻幾之祐 富田林村 27
仲村徳次郎 富田林村 25
松崎万吉 甘南備村 26
東条昇之助 長野村 37
武林八郎 長野村

21

内田耕平 長野村 22
吉川治太夫 長野村 55
吉年米蔵 長野村 48
長野一郎 大ヶ塚村

26 

天誅組

水郡家居合道場 (河内天誅組)

京都六角獄舎(1864年)

水郡善之祐(39) 長野一郎(26)
 吉年米蔵 (49)  森元伝兵衛(31)
辻幾之助(30) 田中楠之助(22)

法泉院 竹林寺

水郡英太郎 水郡新三郎
 鳴川清三郎 浦田弁蔵
東条昇之助 辻宇吉
長野正一郎  

  • 嶽山城(東條村)
  • 金胎寺城(東條村)
  • 佐備口城(東條村)
  • 陣山城(佐備村)
  • 毛人谷城(富田林村)
  • 廿山城(廿山村)
  • 石川向城(甲田村)
  • 喜志城(喜志村)
  • 中野寨(中野村)
  • 中山口寨(板持村)
  • 篝山寨(南大伴村)
  1. 大阪府全志(大正11年)
河内国商工便覧(明治22)
錦郡郡田中林作
富田林市喜志
石川郡喜志村
清酒醸造
石川郡喜志村

河内国商工便覧(明治22)
玉亭
富田林公衆浴場
富田林銭湯
富田林公衆浴場
富田林銭湯

富田林映画劇場(映画年鑑:昭和25年版劇場便覧より)

劇場名  定員 経営者 住所 電話
1-1富田林映画劇場 500 松井芳太郎  毛人谷382 富田林263
2-1富田林セントラル 300 富田林興業 毛人谷456 富田林623
2-2富田林東映 300 富田林興業 毛人谷441 富田林623
3-1富田林松竹 285 南 修蔵 新堂1409⇒毛人谷441 富田林623
3-2富田林名画座 285 富田林興業 新堂1409 富田林623
4-1大楽座  197 福田末吉 山中田119-3 富田林356

南河内郡内他映画劇場

劇場名   定員 経営者 住所 電話
聚楽館        287    岡井裕之   長野町古野120 長野234
長野劇場 356 北野末吉   長野町299-1 長野253
長野東映劇場 285 北野末吉  長野町300-1 長野253
長野大映 300 北野宏子 長野町古野54-9 長野6253
春日座 200 南 修蔵 山田村山田1409(太子町) 磯長12
石川座 180 横田音吉 石川村大ケ塚235(河南町) なし
大美野劇場 270 西川敬一 登美丘町丈6660-1(黒山)」 黒山129
古栄座(白鳥劇場) 282 南 修蔵 古市町古市570 古市473

富田林映画館
映画館


汐の宮温泉(大阪商工大観. 昭和4年版)汐の宮駅下車(大阪より53分、賃往復1回10銭)石川の清流に臨み巨巖の間より湧出する無色透明の霊泉で諸病によく、鮎、蛍、河鹿の名所で近くに大鐡直営の運動場がある。

 大鐵電車「秋郊」昭和4年~昭和8年頃(四天王寺古書市より入手)  

✖ 春山温泉、「春日温泉」(旅館:陽明館)

大鉄電車
大鉄秋郊

松茸山(富田林モータースクール~西山墓地周辺:毛人谷城跡)

富田林松茸
松茸狩り

富田林汐ノ宮温泉
名所
汐ノ宮温泉
ハイキング

春日温泉
太子町春日温泉

富田林町宿屋(明治36年)

  • 長春樓(ちょうしゅんろう)
  • 佳節樓(かせつろう)
大鉄電車沿線名所案内「1928(昭和3年)」
清酒
良久娘
清酒
通天

富田林 岡村産婦人科
岡村産婦人科院
中谷医院
中谷医院

山口診療院
山口診療院
武田医院
武田医院


河南鉄道線路案内
河南鉄道線路案内
富田林商工会

富田林寺内町センター
寺内町センター

旧杉山家住宅前「寺内町センター」平成3年施工

旧杉山家住宅1979年(昭和54年)富田林市購入


「午前9時45分、堺市浜寺の洋裁学院経営者、杉山好彦(42)が2階仏間で正座し頭を撃ち苦しんでいるのを妻、京子さん(34)が発見。遺書はないが、昭和21年から経営している洋裁業の経営が思わしくなく、友人に約25万円を借りて再建をはかったが生徒は減る一方。このため富田林市にある自宅の固定資産税50万円も滞納、この支払いと借金返済で最近神経衰弱になっていた」

「山崎豊子」空襲で船場の実家が焼失し、石上露子の浜寺の別荘に疎開


大林組迎賓館(大林組ゲストハウス)

山崎豊子 ドラマ・映画「華麗なる一族」ロケ地(万俵家邸宅)昭和7年(1932)築。

大林組2代目社長、大林義雄邸(大林組迎賓館):設計 安井武雄(安井建築設計事務所)

富田林病院建替え:平成30年1月30日に大林組・安井建築設計事務所共同企業体を落札者として決定。

「月刊・きんもくせい」メリヤスで財を成した古川定治郎の所有地を引き継ぎ、 建築家の安井武雄に洋風住宅の設計を依頼。 その安井の原案に、 社長の命を受けた木村得三郎が手を加えて、 今日の姿に仕上げた(写真1)。 木村は、 大林組で主に劇場建築を担当したデザイナーである。 洋館に併設して、 西川一草亭指導、 名匠・北村拾次郎の手になる和館がある。 ちなみに、 阪急御影駅のホームから見える大林邸内の中国風の楼塔は古川氏の時代に建てられたもの。

数年前までは、入口の警備員詰所には2名が門番として待機しており、門から3分程度のアプローチを車で抜けると玄関前の洋式庭園が見えてきます。邸宅には、渡り廊下でつながった和館があり、ゲスト宿泊時にも朝食を提供できるようルポンドシエルスタッフ等が宿泊できる設備も備えています。大林組を定年退職した方が館長を務めているようです。

日露戦争で日本に送られた2万8000人の捕虜を浜寺に収容

大林組創業者、大林芳五郎は、請負業の縄張り争いで、旧友の侠客の親分として知られた野口栄次郎(「出店の又」との抗争で殺人犯として逮捕される)「木屋市」;北(北野)の「木屋市一家」の有形・無形の援助を受けて、大阪鐵道から請け負った難工事をやり遂げた。

労働力の供給が請負業の相当部分を占めていた当時、これら遊侠の徒が業界に勢力をもつことは、ある程度避けがたかった。そこには多くの弊害もあったが、同時に人と人とのつながりによって、はじめて成り立つ業である以上、彼らの存在を便とする場合も多かった。由五郎と野口は、たがいに相許した友で、利用するための交友ではなかったが、結果的には大いに役立ったようである。由五郎の抱擁力は、のちに伝法の「伊之助」鴻池忠治郎(伝安一家:「守口弥三郎」)・幸町の「淡熊」銅傳佐太夫(淡熊会)博徒組織・梅田の「難波福一家」(鶴田丹蔵)、その他、九條の「永福」、新町の「小常」、など有力顔役を彼の支持者とさせた。いずれも「木屋市」野口栄次郎とのつながりから生じたもので業界粛正のため悪徳業者と戦うに当たって、強力な援護者となった。

キタ風土記】宮本又次著  木尾市(野口栄治郎)と綱敷天神夏祭り

北野村(いまの堂山町)の屈指の地主木尾市兵衛の長子に野口栄治郎というのがいた。この人は道楽半分で自ら好んで演劇道にはいり、気骨があり、快男児なのであった。

御霊神社の定席で、堀江栄治郎といって芝居をしていた。 大林由五郎(のちの芳五郎)は堀江の麹屋又兵衛という呉服屋で丁稚奉公をしていたが、丁稚仲間の福松(福本源太郎)と共にこの芝居をいつも見物して、栄治郎をひいきにしていた。

堀江栄治郎は後に北の大親分となり、知られていたが、奈良と大阪を結ぶ大阪鐵道の亀の瀬トンネルの難工事に土建屋となった大林由五郎が従事した時、大親分だが、丁度レンガ屋として工事現場に来ていた栄治郎と遇然、出会った。以来、栄治郎は由五郎の身によりそって護衛の任にあたった。明治14年2月木屋市一家は当時堂島の顔役であった「出店の又」一家と争うことになった。「出店の又」は宮相撲では「綾勇」といい、その勇名は大阪地方一円にひびきわたっていた。初めは木屋市の子分だったが、その剛カはしだいにひろまり、やがて、大阪の北部をナワ張りにするようになった。そして木屋市のナワ張りを荒らすようになった。そこで木屋市一家は「出店の又」を倒そうと機会をねらい、ついに子分同士のケソカが導火線になって、北区堂山町の金台寺裏で乱闘をおこすことになった。この乱闘は木屋市側の勝利に終ったが、子分数人とともに殺人犯として検挙された。

しかし木屋市自ら手を下したものではないので、明治14年7月、栄治郎は予審免訴となって出獄した。この出獄の翌月が木屋市が住んでいた土地にある綱敷天神社の例祭日であった事から、親方の出獄をよろこんだ若者たちはダンジリをひきだして大騒ぎをした。これを聞いた顔役はこのダンジリをめでたいから借りたいと申しいれ、天満では「小松山」天神橋南では「山熊」上町方面では「出歯定」というふうに、つぎつぎと大阪全市の顔役がこのダンジリをひきまわして、ついに十日問に及んだ。そして栄治郎は押しも押されもせぬ大親分にのしあがった。

また伝法の「伊之助」、寺町の「淡熊」、梅田の「難波福」、九条の「永福」、新町の「小常」、などそうそうたる親分たちと手を握ることが出来た。

大林芳五郎は木屋市と兄弟分という仲だったので、この親分たちとも関係ができ、これからも群小のヤクザをものともせず、土木請負業界の改革を押し進めることが出来たのである。

1910(明治43年)大阪電気軌道の工事請負



富田林銀行
富田林銀行

中内眼科医院
中内眼科医院


  所在地 商店数 開業日
大和百貨店 本町20-8 - S37 , 8, 1
ジャスコ金剛店 寺池台1-9 - S44,  5, 1
金剛ショッピングモール 寺池台1-9 - S45,  6,26
じゃんぼスクエア富田林 若松町1-5-15 - S47,11,23
ダイエー富田林店 昭和町1-7-1 - S51,10,29
富田林中央市場 常盤町8-14 22 S34,  5,30
喜志デパート 喜志町3-10-13 33 S38,  5 ,1
滝谷デパート 大字須賀578-2 35 S47,11 ,2
金剛公設市場 寺池台1-9 42 S42,12 ,1
富丘ストアー 甲田210-2 15  S51,

ホテル清光園・ヘルスセンター「PL温泉」富田林市大字中野345


参考文献

「富田林まるわかり読本」「大阪河内の近代」「富田林市誌」「富田林市史」「河内長野市史」「大阪朝日新聞」「南河内ことば辞典」「富田林市政白書」「全産業住宅案内図帳:1961年版・巧精社」「大阪府精密住宅地図:19711986年版・吉田地図」「映画年鑑:1950年版」「映画年鑑:1968年版別冊・映画便覧」「大鉄全史:1952年版」「大鉄電車沿線名所案内:1928年版」「銀行及経済便覧:1906年版」

協力:富田林保健所


富田林街道と牛乳箱


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太子町 春日温泉

春日の温泉みち

この道を上がった所に温泉施設と旅館「陽明館」があったようです。


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楠公通 ~ 寺内町(Deep)

重要伝統的建造物群保存地区

昭和の時代には、本町通商店街もこの楠公通商店街もたいへん賑わっていました。

重要伝統的建造物群保存地区

赴任先から富田林に戻ってきたのですが、すっかり寂れてる。


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福祉青少年センター閉館

9月からは「Topic富田林市きらめき創造館」に機能を移転

「福祉青少年センター」は売却するそうです。自習室・会議室・多目的室など大小様々な部屋があり、使用料が無料でした

 


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河内音頭元祖 岩井梅吉

河内10人斬り

 新家児童公園前、「新家水利会館」

河内10人斬り

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