2020/7/1

昭和30年代までは、田畑だった近辺の若松団地の建替えを皮切りに若一が様変わりしています。駅近で教育・医療も充実し、「富田林市営若松第3住宅」は、高級分譲マンション以上のインパクトがあります。
富田林駅からも近いし、徒歩圏内に大手スーパーも数店舗あり、今秋、医療モールとスーパーが併設された「新じゃんぼ」完成とその後も、市営団地の建て替えが全棟(400戸)完成。富田林では最強に住み易い、熱い、利権渦巻く街になりそうです。

入札には中筋建設、久保工業、大富建設、大竹建設、平成建設興業、勝正建設、ニュートリノ、生晃建設、美馬建設、八交建設、登工務店、安田組が参加した。6社が同額だったため、くじ引きで落札候補者を決めた。
入札には、TSUCHIYA、日本建設・美馬建設JV、塩浜工業の3者が参加した。同工事は7月に公告したが、参加者数が1者だったため、中止となっていた。
富田林市は、市営若松住宅除却跡地などに複合施設の建築を計画しており、用地確保のため第5住宅(若松町地内)の解体工事を第2四半期中に発注する予定だ。
「市営若松第5住宅」19億5千万円:建坪単価(90万円)で着地したようです。2年前の記事「陸の孤島化する府営楠住宅」の府営団地の楠住宅は、建坪単価が(30万円)だそうです。
現在建替えの新若松団地に申し込めるのは、地域限定 「令和3年度第1回(4月)」分は全て一般募集(毎回変わるようです)ですが、現在旧団地にお住まいになられていた方が、建て替え後、新団地への転居後となり、建て替え後は若松団地全体で408戸となり、全棟完成後は、空室もでき、他の市営住宅同様、「一般募集」が期待できます。「現在は一般募集となっています」
若一地区は駅近で、教育、医療、住宅も充実し、富田林市内の他地域との格差が大きくなっています。
富田林市議会「32:30~38:30」によると、国の「同和対策事業特別措置法」が18年前に終了したはずなのに富田林市は独自継続中だとの事です。富田村は、古来から明治維新まで喜志周辺の農家で農耕用に使っていた死牛馬を解体処理する独占的権利(草場株)を村人の数人に与えられていました。村は東高野街道沿いにあり、富田林村、新堂村、川面から大坂方面に船運で商いをし、本村の新堂村では寺院建築の新堂大工組、竹細工職人(新堂すだれ)も活躍して村民は裕福でした。明治維新以降、大正期には地区外の運動団体「大正11年河内水平社創立」(河内水平社創立大会に富田林中学:元初代校長(市岡中学校長):大里猪熊が来賓として出席)が介入し、昭和初期には、二戸一住宅が建てられたようです。国の「措置法」以前から整備され、戦後は他地域からの住民流入と昭和40年代には、対策事業が本格化し建設会社等も多数進出してきました。
広報とんだばやし(令和3年4月号)

石川郡新堂村
大坂代官・内海多次郎支配「石高:1727.6300」尺貫法
毛人谷村の「西方寺除地無高」900坪の「除地」=西方寺が領主により年貢免除の特権を与えられた土地
公園・保育園・葛城温泉(予定)

畑ヶ田遺跡・畑ヶ田南遺跡


新堂診療所裏道の「皐月荘」通りが東高野街道です。若松団地が建てられる以前の昭和30年代頃までこの辺りには広大な田畑が広がっていました。
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- 現在のGoogleマップと1940・70・80年代の航空写真を並べて表示します
- 現在地(GPS)を取得し現在地を表示できます
- 全画面表示に切り替えると、1936年・1945年・1976年・1981年・1985年・1990年に年代を変更して現在の航空写真と過去の航空写真を左右・上下に表示できます。
生前の母のかかりつけ医であった「新堂診療所」です。妻が付き添いで月一通院していました。理事長も雇われDrで、母の通院当時は医療法人である診療所に長年に渡り、市の補助金が支給されている稀な運営形態でした。1年間だけレストランを営業、市の予算で1千万円相当の厨房機器購入直後、昨年撤退したすばるホールのレストラン(シエロ)の親会社にコンサルを依頼していたようですが、開業医のようにマネージメントを気にする事もなく、親切、丁寧に診察いただける地域密着の診療所でした。利益を追求する医療法人が多い中、葛城温泉同様に新堂診療所にも税の投入が必要です。現在は、荊政会(部落解放出身議員団)、市議の辰巳議員が医療法人同愛会の副理事長のようです。辰巳議員の前は現:吉村市長が府議時代活躍していました。
1960(昭和35年)新堂診療所

*「一般社団法人」は民間団体で市町村等の公的機関により設置された団体ではありません
児童館では、コロナなんかに負けず子供たちが元気に走り回っています。

私が初めて葛城温泉に行ったのは40年以上前ですが当時は洗い場が確保できないくらいに混雑していました。

既に富田林市内の公衆浴場は、この葛城温泉1軒のみになってしまいました。地区だけでは無く富田林市内唯一の裸のコミニティの場として団地の建て替えと同時進行で風呂屋の建替えも必要です。4月から水曜日・日曜日が定休日。

現在、住民の誰れもが入浴できる葛城温泉に税を投入することに対し、役所の建て替えより、ましてや税金で「NHKのど自慢」を誘致する事などより、富田林市民の老若男女が利用できる「葛城温泉」の建替えを待ち望んでいます。

富田林市営の浴場
寺内町へと繋がる東高野街道と(仮)改良店舗
以前は団地の緑地であった、(仮)改良店舗、裏の駐車場付きで家賃も信じられないくらい激安です。○富田林市営住宅条例施行規則
①第3次改良店舗建替工事
【質問・意見等】
委員
- 案件①ですが、落札価格を見ておりますと、1位から結構常連ですね。1位が2位の3千6百万円に対して千円しか差が無い。何もない情報の中でこういう数字というのは、今までこれだけ刻んだ数字というのを余り見たことが無い。
委員
- これは多分落札のテクニックみたいな物ではないですか。
委員
- テクニックですかね。3千6百万という数字がどこかで分かっていれば刻めるとは思うのですが。最低制限価格との間に6百万ほどの差が有って、ここでこの数字で刻んで、一番高い桁の所で刻んでいる。どうなのかなと思いました。
委員
- 改良店舗というのは、市が店舗を賃貸する為に建てられるのですか。
担当課
- 改良店舗は、1階に改良店舗が有りまして2階から5階が市営住宅になっております。この改良店舗と言いますのは、改良住宅の店舗で有りまして、当初劣悪な状態で生活されていた方の所に市営住宅を建てました。その時に店舗を営んでおられた方の為に店舗を造ったものです。今回、市営住宅の建て替えに伴いまして、店舗も新たに建替えるという事でございます。

現在は児童館専用駐車場になっている市営団地の改良店舗跡地。
母が高齢になって一軒家の一人暮らしは、しんどいと言うので、数年前人権文化センターに市営住宅の申請用紙をいただきに行ったのですが、若松団地の入居要件を満たしていたにも関わらず係の方から「若松団地に入るのはハードルが高いよ」と言われた経緯があります。
「若松団地に入るのはハードルが高いよ」と警告された理由を現在調査中です。図書館がコロナで閉鎖中なので、調べきれていませんが、どうやら明治維新後、大正辺りから昭和にかけ、富田林以外の地域からの団体や事務所等が進出し、以降、地域の様相が変化してきたようです。富田林市民である母が「市立第1中学校区内に6か月以上継続して居住」の要件を満たしていても若松団地に抽選申し込みさえ出来ないという不条理は、良くも悪くも行政と団体が一体となり、今も昔も利権と市政が差別を継続していると言う事です。
「地域コミュニティ募集は、地域でのコミュニティの推進を図るため、市立第1中学校区内に6か月以上継続して居住又は勤務されている世帯に限ります。」
改良店舗付き若松団地跡の児童館駐車場。
夏には盆踊り等の会場になります。葛城温泉付近にも団地内駐車場とは別の団地住人専用駐車場がありました。私も将来年金額が少ない事がわかっているので、若松団地で暮らしたいのですが、入居要件を満たして抽選で当たれば入居できるはずなのに申込み自体ハードルが高いそうです。「現在は一般募集となってます」
